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2015年5月26日 (火)

死の主体性

命あるもの寿命があります。

医術の力ではどうしようもないことです。

しかし昨今、人生の最後となる死という厳粛な舞台において主体性を持つことすらも許されず、病院が与えた監視下の元での死が待っています。

医療は死なせないためにあるのですから、当然と言えば当然ですが、それは死を負けと捉える生きている側の都合だけかもしれません。

「自宅で穏やかに息を引き取った」

そんな話を聞くと、死に際においてそんなに苦しむ必要はないのかもしれません。

確かに肉体は死によって消滅します。

しかし魂に置いては旅立ちになるのかも知れません。

もしそうであるなら死は晴れの舞台となります。

自分らしい生き方があるように、自分らしい死に方もあるはずです。

寿命を前にして、「これ以上は手を出さない」。

今後の終末医療の大きな課題ではないのでしょうか。

というような言い方は、死の責任を社会に預けている感じがするので、自分の死に際を考えてみるのも生き方のヒントになるとおもいます。

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