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2018年5月31日 (木)

自分の死に方を考える時代

先ごろ、日本臨床緊急医学界は、人生の終末期にあり、「心肺蘇生は望まない」と希望する患者は心肺停止状態だった場合、現場の救急隊員はかかりつけ医の指示があれば心肺蘇生を中止できるとの見解を示した。

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2015年厚労省が出したガイドラインで、患者の意思を尊重して延命よりQOL生活の質を重視する指針作りがなされています。

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現代、私たちは「自分の死について」考える必要に迫られてきています。

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高度医療における延命技術が発展し、死にたくても死ねなくなってきているからです。

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ここまで苦しい思いをして生きたくないと考える人もいれば、意識があろうがなかろうが、どのような状態であろうとも科学の力で生きられるのなら生きたいと考える人もいます。

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死は思いがけずやってくるものです。

明日かもしれないのが命。

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「医者に判断をお任せする」ということは、必然的に延命するということでもあります。

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「家族の判断にまかせる」ということは、家族に自分の生死を決断させる。という精神的負担を強いるということです。

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私は、子供たちにその決断をさせるのは酷というか、無責任だと思っているので、自分の終末期における医療、延命の有無の希望を文章にして、妻には伝えています。

 

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