カテゴリー「ジロー整体物語」の6件の記事

2011年12月31日 (土)

第6話 整体の技術のように「生きる技術」

私自身の2011年はどうだったのかと言うと、数え42歳の本厄ということもあり、精神的な面で大きい変化がありました。

ここ数年肉体的にも精神的にも急激な衰えを感じていました。体力や記憶力、集中力、免疫力の減退、そして憂鬱感。今思うと寸前のところで踏みとどまっていたのかもしれません。

しかし苦しみの中でも必ず行き着くところはいつもの、「自分のココロと身体が、整体(メンテナンス方法)の一番の実験の場になる」といった考え方です。

まず定期的な運動や独自の整体体操を続けて、サプリメントを摂取していたら、少しずつ体調が良くなってきました。

そして余分なストレスを生み出している自分の心の見直し。
その中でも、一番の気づきは「期待し過ぎていた」ということが大きかったように思います。

それは社会や人、自分に対してもです。
自分の実力が分かってくることによって、膨らませすぎていた期待が程良く縮んで、心が楽になってきました。

「もうがんばらなくていい」そう思うだけで、自然と肩の荷が下りたような気がします。

自分の身の丈が分かってくると、不足と感じていたことが、実は足りていた。という事実にも気づき始めました。

人生は、生まれ持った環境や遺伝的資質、運命によって変わります。努力で改善できることなどしれています。その努力できるということ自体も才能なのかもしれません。

だから他人と比較せず、自分の人生を歩むことが一番だと、頭ではなく、心から感じるようになってきました。

分相応がわかってくると、つまらないことでの怒りも減り、こんな自分に付き合ってくれている妻や人に感謝する気持ちが増えてきました。

子供の世話にしても心境に変化が現れてきました。

以前は、子育ては神さまが与えた試練だと思っていたことも、実はご褒美だったのだと、感じることが増えてきました。

おしめを換えたり、ご飯を食べさせたり、保育園の送り迎えなど、おっぱいを上げる以外なんでもやってきたという自負があります。

手間暇かけて世話した分だけ、心の中に、ほんわかとした小さい花が育っている。そんな
気持ちを持てるようにもなれました。ひょっとしたら私の人生で一番幸せの時かなのかもしれません。

運動や子育て、たくさんの気づきによってエネルギーが湧いてきたのか、2011年の最後に、渥美半島一周ウォーキング を企画して一人で13時間歩き通しました。

こんなバカなことをしたのは久しぶりです。

足が痛くてつらかったのですが、20代の頃の放浪の旅を思い出し、気持ちが若返りました。

人生もゆっくりでもいいから一歩一歩が大切なんだと、長時間歩くことで、カラダでも納得することができました。

考えてみれば私はいつも「気づき」を求めて、人生を旅しているような気がします。

そして、その「気づき」が、整体の技術のように、「生きる技術」として、自分を高め、人に提供できればいいなとも思っています。

苦しみや悲しみ、喜びのすべてをひっくるめて、「今を生きる」。

それが人生の究極の目的なのかもしれません。

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JIRO整体物語記事

  ↓

第1話 四畳半と納豆と整体

第2話  整体院の開業と心身の反乱

第3話 死の不安、そして心身統合整体へ

第4話 JIRO整体の技術の作り方

第5話 「大いに生きる」

第6話 整体の技術のように「生きる技術」

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2011年8月 8日 (月)

第5話 「大いに生きる」

人間関係で悩んだり体調を崩したり、人生の方向が定まらないとき、生きていく上で何か心の支えとなる哲学的なバックボーンがあればいいのにと思っていました。 

仏教書や哲学書を読んで参考にしたこともあるのですが、小難しく堅苦しいのは苦手だし、新興宗教などは私には合っていません。

心理学は知識として役に立つのですが、それが心の支えとはなりませんでした。

そして自分の中でたどり着いた答えが、どうせいつかは死ぬのだからしらけた気持ちでは生きたくない。

一度きりの人生を存分に味わいながら“大いに生きればいい”と極めて単純なことを悟ったのです。

それからというものこの「大いに生きる」という一言が思った以上に自分を励ましてくれること.になりました。

例えば、私は20代のとき日本やアジア各地を数年間旅していました。人生についていろいろ悩んでもいたのですが、カンボジアで見たアンコールワットに沈む赤い夕日は、心の奥まで響く深い感動を与えてくれました。

チベットを旅していたときに見た真夜中の流星群は言葉を失うほど美しかった。

インドでのヨガで感じた心身の一体感。

パキスタンのガンダーラを求めての旅。

その時思いました。たとえ悩み事があったとしても感動することはできるし、その感動こそが生きるエネルギーになるのだと。

流れる雲、風の気持ちよさ、休みの日の朝の雨、ぽかぽか陽気にココロが惹かれます。

「大いに生きる」とは、ネガティブが悪くてポジティブが良いと言った考えではありません。

自分の感情のすべてを認めて生きるといった考えです。

「~をすべき」「~をしてはならない」「~をすると世間体が」など、いつも自分にも人にも制限をかけていると根本的な生きる喜びが湧いてきません。

よりよい生を求めることはよりよい死を求めることでもあります。

死の直前に大いに生きたと、人生に感謝できたらいうことありません。

まだ私自身も大いに生きる訓練生ですが、

この「大いに生きる」を胸にして、お互い励まし合って人生を生きようではありませんか。

2

20代の中頃のインドでヨガを行っていたときの写真

体重が53キロまで減り、あばら骨が浮き出ていた。(怖)

この頃はストイックだったなぁ~ ?

今は・・・   何も言いたくない。(笑)

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JIRO整体物語記事

  ↓

第1話 四畳半と納豆と整体

第2話  整体院の開業と心身の反乱

第3話 死の不安、そして心身統合整体へ

第4話 JIRO整体の技術の作り方

第5話 「大いに生きる」

第6話 整体の技術のように「生きる技術」

 

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2010年3月19日 (金)

第4話 JIRO整体の技術の作り方

自分自身の、「腰が痛い!さて今回はどうやって自分で治すかな?」。から本当の勉強が始まります。
 

東京で四畳半の生活をしながらコツコツと買ってきた手技療法、医学書、心理療法関連の書籍やDVD、およそ800冊。

  Photo

これらの療法は、学校で直に学んだものや参考にした資料、書籍です。

カイロプラクティック 関節運動学的アプローチAKA療法 オステオパシー 筋膜リリース スポーツマッサージ 繰体法 トリガーポイント療法 IDストレッチ 軟部組織モビライゼーション PNFストレッチング カウンターストレイン 触圧覚刺激法 頭蓋仙骨療法   マイオフェイシャルマニュピレーション ヨガ 指圧療法 アプライド・キネイオロジー SOT   整形外科テスト法 自律神経訓練法 野口整体 内臓マニュピレーション マッケンジーテクニック 神経系モビライゼーション 体性感情解放  東洋医学 免疫学 ポトロジー 呼吸法 気功療法  栄養学 健康管理一般指導員 心理・精神医学 マッスルエナジーテクニック   ボディ・ワーク  タイ式マッサージ 

 

様々な文献から整体理論を学び、自分の体で試し、親しい人で試し、次に臨床の現場で使い、より高度な技術体系となるようにアレンジしていく。

このくり返しとインスピレーションがJIRO整体・体操療法の作り方。

 

ひとりひとり生き方が違うように痛みや凝りの原因も違います。

関節のズレが原因で痛みがでているのに筋肉をほぐすマッサージを受けたとしても効果は期待できないでしょう。

皮膚 筋膜 筋肉 腱 靱帯 関節 骨格 血行 体液の流れ 性格 体質 ストレス ホルモン、季節や年齢のバイオリズムなど痛くなる原因は様々です。

その様々な症状に対応できるように勉強して技術を習得して、経験によりインスピレーションを磨いてきました。

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第1話 四畳半と納豆と整体

第2話  整体院の開業と心身の反乱

第3話 死の不安、そして心身統合整体へ

第4話 JIRO整体の技術の作り方

第5話 「大いに生きる」

第6話 整体の技術のように「生きる技術」

 

 

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2008年1月24日 (木)

第3話 死の不安、そして心身統合整体へ

東京で開業して3年目の頃、私生活のごたごたや自信喪失から整体の夢を見失い、心と体のバランスが崩れ始め、腰痛や動悸や不眠と様々な症状に悩まされた。
 

朝、目が覚めるとため息をつき、仕事やめてどこかぶらっと行きたいな思うことが多くなった。それでも整体をしている最中は緊張感は保っていたが、次第にそれもままならなくなり、気分のすぐれない日は予約を断るようにした。

このままじゃまずいと思ったが、自分の力ではどうしようもないところまできていた。
 

精神科の入り口で、入ろうかとどうしようかと10分ぐらい悩み立ち往生してたときウインドーに映った自分の姿に、とてつもなく怒りがこみあげてきた。
 

「何やってんだ、かっこうつけて生きてきたつもりでもこのざまだ。本当は弱いくせに見栄ばっかりはって、なんて情けない奴なんだ」
 

情けない自分自身に腹の底から怒りがこみ上げ、それが頂点に達したとき自分の中の深いところにあったエネルギーを感じた。

「よし、俺は整体師だ。独力で自分の心身を生体実験しながら治してみよう。ダメになったらそれが寿命だと思えばいいじゃないか」
 

今まで逃げていた自分と向き合う決心がようやくついた。 

 

独学で精神分析や自己催眠、座禅、ヨガ、自律訓練法や呼吸法など、さまざまなものにトライした。

自己分析をしていると同じ考えが堂々巡りし、よけいにつらくなる。堪えられないときはあびるほど酒を呑んで寝た。

朝、二日酔いで起きると何度もトイレにしゃがむ。二日酔いってこんな苦しかったのかと後悔し、健康が大事なことが身にしみる。

こうしてひとつひとつが勉強になっていった。

 

休日は山登り。

登山道からはずれた静かなところで一人瞑想すると心が癒されていくのがわかった。

土の上に直接寝ころぶと、大地の温かさとやすらぎを感じた。

風は包み込むように流れ、沢の水が体のすみずみまで浄化してくれる。鳥が周りに集まりさえずる。

人間は自然の中の一部なんだ。
 

自然に癒され、自分と向き合うことで自信を取り戻し始め、少しずつ心身が回復してきたとはいえなかなか本調子にはなれなかった。

東京という大都会で、”孤独な死 ”という恐怖感もあった。

「アパートに帰っても一人、整体院でも一人、一人で死ぬのが怖い。」

そんな漠然とした不安がいつもどこかにあった。 

「死」 人間の一番の恐怖の根元だ。

頭では、そんなことで悩んでもどうしようもないことはわかっているのだけど、どうしてもその不安が頭から離れなかった。
 
 

夜、ろうそくの炎を見ながら半眼の瞑想を毎日つづける。炎をじっと眺めていると心の奥が温かくなり、不安やよけいな考えが消えていった。

「一人で死のうが死んでいるんだから関係ない。それより生きている内に自分の経験を生かし、心や体のことで悩んでいる人の役に立て。」
 

魂の声をようやく聞けたとき孤独な死に対しての不安が消えていった。

身体ばかり見ていた整体師は、心と体のつながりを身をもって経験し、心と体の統合をめざす心身統合整体という道を歩み始めた。
 

夢を取り戻し、自分には弱さも強さもあることを素直に認められたとき、迷いぶつかりながらでも思い切り人生を生きていこうと思うことができた。

そしたら無性に人が恋しくなった。

生きている内にいっぱい人を好きになって、いっぱい嫌いになって、いっぱい怒って、いっぱい泣いて、いっぱい笑っていたい。
 

そうやって、いっぱいこの人生を満喫して死んでいけばいいのだ。

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第1話 四畳半と納豆と整体

第2話  整体院の開業と心身の反乱

第3話 死の不安、そして心身統合整体へ

第4話 JIRO整体の技術の作り方

第5話 「大いに生きる」

第6話 整体の技術のように「生きる技術」

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2008年1月19日 (土)

 第2話  整体院の開業と心身の反乱

30歳のとき東京で開業することにした。

不安もあったが、その頃は自分の整体の技術にかなり自信を持っていたので、オープンしさえすればなんとかなるだろうとおもいきった。

予算の都合で、看板はベニア板にペンキで塗った手書きのものだ。

開業して1年ぐらい経つ頃から、同業者の知り合いやクライエトからの紹介で徐々に広まり始め、一日最高10人の予約を断ることがあったぐらいだ。
 

その頃の私は、整体に関しては絶頂期だった。

 

自分の整体のレベルが上がれば、それに比例して口コミで紹介されてくるクライエントも重い症状の方が増えてきた。
 

クライエントの悩みや葛藤を親身になって聞いていると、感情移入し過ぎて自分自身もひどく落ち込むこともあったがやりがいはあった。
 

 ただ、中には抑圧された怒りの矛先を私に向けてくる人もいた。心の勉強を一切したことなかった私は動揺し、もがき苦しんだ。

クライエントの怒りが、私に乗り移ったような気がした。
 

整体の技術だけでは対応できないクライエントが増えると徐々に自信も失い始めた。
 

 

気分転換に、仕事以外の人と知り合おうとしても、自分の職業を言うと、どうしても相手の悩みを聞くことが多く、仕事と遊びの区別がつきづらかった。

なかには整体嫌いな人もいて、初対面でいきなり「整体なんかインチキだ!」と言われたこともあり、次第に知らない人と会うのが億劫になり、整体の仕事のことも隠すようになっていった。
 

徐々に自分の殻に閉じこもり始めた。イライラしていたのか今まで親しくしてきた人に対しても疑心暗鬼となり、上手く付き合えなくなっていった。
 

その頃から、私のものと思っていた心と体は、私から反乱を起こしだした。
 

突然不安になったり、動悸や冷や汗、気分の落ち込み、怒り、不眠、腰痛、頭痛、冷え、慢性胃炎、倦怠感など、様々な症状が出始めたのだ。
 

得意の気合いや根性ではどうすることもできず、あんなに整体に打ち込んでいたのに、漠然と、もう整体やめようかなと思うようになっていった。

そんな整体院に来るクライエントはいない。あっと言う間に暇になっていった。
わけのわからぬ不安と怒りで心は覆い尽くされ、体はどっしりとなまりのように重たかった。 
 

歩くのもしんどい。
 
 

つづく

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第1話 四畳半と納豆と整体

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第5話 「大いに生きる」

第6話 整体の技術のように「生きる技術」

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2007年11月18日 (日)

第1話 四畳半と納豆と整体

20代中頃、アジア各地の旅&整体の習得から戻り、東京の整体学院に入学したとき貯金が2万円を切っていた。
 

アパートは、築40年の木造で、風呂なし共同トイレの四畳半。

段ボール箱をテーブル代わりにし、ガスは長年愛用のキャンプ用カセットコンロ。テレビ、冷蔵庫なんかあるわけない。

カーテンの代わりに新聞紙を窓に貼っていた。どうせ昼は学校でいないんだからかまいやしない。

真冬に暖房器具も布団もなしで畳の上に寝袋で寝る。寒がりで冷え性の私は靴下2枚はいて、マフラーしてスキー帽をかぶって寝ていた。
 

近くの八百屋で賞味期限が切れた納豆を3パック30円ぐらいで買って食べていた。炊飯器がないので、そばを湯がいてその上に納豆をかけて食べるのだ。

私はいまでも、納豆さえ食べていれば生きられることを信じている

夜学校から帰ってくると深夜のホテルで清掃のバイトだ。1ヶ月が経ち、ようやくバイト代をもらえたとき、私が買ったのは布団でも炊飯器でもない、1万円の整体の本だった。
 

その後もしばらく人から生活用品をもらうまでこの生活スタイルは続いた。

生命を維持するぎりぎりの栄養をとったら整体の本を買って、未来の夢である整体院開業の資金として月2万円ばかし貯金する。

睡眠不足と栄養不足、倹約のための自転車通いでふらふらすることもあったが、整体を極めさえすればすべてが上手く行くと信じていたので、そんなにつらいとはおもわなかった。
 

いまでもその単純思考癖は健在で、人間関係で悩もうが、身体が痛かろうが、すべて整体のためだと決めつけている。
 

 

話にはオチがないとおもしろくない。
 

スペシャル貧乏な頃、実家の父に自分の洋服を送って欲しいと言うついでに、できれば食料品も入れておいてほしいと頼んだら、届いた箱の中には洋服の隙間に一番安いしょう油パックと砂糖1キロが入っているだけだった。 
 

長年自衛隊に勤めていた父は、私にも東京で過酷なサバイバル生活を体験しろと言うのであろうか。

たとえ飢えてもお金の無心はしなかったが、まさか砂糖を送ってくるとは。

 

俺はアリか!
 

 

ため息をつきながら洋服や砂糖を取り出すと、段ボールの底に封筒があった。そこには母親からの手紙と現金三万円が入っていた。
 

結婚するまでその手紙とお金は使わずに取っておいた。 
 

人間夢さえあればつらくても生きていけることを経験から学んだ。

夢なんて叶わなくてもかまいやしない、ただ持ち続けるだけで幸せなのだ。 私の整体を極めたい夢はまったく色褪せていない。

もっともっとだ。

 

つづく

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